チョコの誘惑には勝てないってワケ

西武池袋のバレンタインフェア。
それは、あらゆるブランドのチョコレートが一堂に会する夢のような催事です。

昨今のバレンタイン文化は、本来の「好きな人にチョコを贈る」というものよりも「友人と贈り合う」、「自分へのご褒美として買う」というスタイルが主流になってきている気がします。例に漏れず私もご褒美チョコを求めて、初めて西武池袋へ馳せ参じました。

会場内はブランドごとのブースが展開し、通路を埋め尽くすほどの人。大人気のブースは行列で120分待ちという、テーマパークばりの待ち時間…(9割女性)
キラキラのショーケースに並んだチョコを眺めていると、店員さんがチョコの試食を渡してくれます。いろんなチョコを一度に食べ比べできるのも魅力的です。
口が甘くなるのでお口直しの飲み物も販売してる場所もあります。商売上手。

結局、試食しすぎて満足してしまい商品はあんまり買えず…(えっ)
フリーズドライフルーツの瓶詰を買いました(チョコじゃない)

どこのチョコも全部おいしくて味も全然違うんですねぇ。

人とともにウンウン唸りながら悩み、チョコを選ぶのは幸せでした。

そして、憧れのカカオサンパカではチョコソフトも売ってました!
2月の寒さに勝てず今回は断念しましたが、夏になったら絶対食べるぞ!

来年も行きたいなあ

新型コロナウイルスの影響

コロナウイルスの影響は連日報道されている通り、色んな所にひろがっていますね。

家の近くのドラッグストアでもマスク・アルコールはもちろんティッシュ・トイレットペーパーが消えました。 本当に無くなっていて必要だったのに…

そんな悪い影響が広がって、私の好きなバンドのツアーが一部延期・中止になってしまいました。(私は中止の前に行くことが出来ましたが)

ほとんどのバンドやアーティストのライブやイベントが中止になり、心を痛めていますが、そんな中その私の好きなバンドは昨日急遽、ライブに来れなくなった人たちや元気がなくなってしまっている人たちに向けてYouTubeで無料ライブを開催してくれたんです。

通常のライブよりは披露される曲数などは少なかったですが、とてもかっこよく楽しく元気になれるライブだったなと感じました。

素敵な心意気を見せてくれた私の大好きなバンドをこれからもずっと応援していこうと誓った夜でした(^^)

Y.K

ウインタースポーツ

去年に引き続き、今年もゲレンデに行ってきました!

滑る前にまずは室長より教育訓練及び安全講習が開催されました。自分もまともな教わり方をしていなかったので、ためになりました。

講習後はみんなで楽しく滑って大満足でした!

みんな怪我なく楽しめてよかったです。来年またいけるといいですね。皆さんもぜひ一緒に行きましょう!

カリブの海賊とスプラッシュマウンテンの落とし談

カリブの海賊は、

冒頭、真っ暗闇を進み、ボートは急落下。

それと同時にゲストは1600年ごろのカリブ海にタイムスリップ。海賊たちの暴れまわる姿をボートの上から見学するアトラクションです。

スプラッシュマウンテンについては、Wikipediaを引用すると、

『悩みを抱えているブレア・ラビットは「笑いの国」という場所があることを聞き、「笑いの国」を目指して旅に。しかし、ラビットを狙うブレア・ベアとブレア・フォックスがあとを追う。2匹は、キレ者のブレア・ラビットに手を焼きつつも、遂に捕まえることに成功する。2匹はブレア・ラビットを早速食べるつもりだったが、ブレア・ラビットに「いばらの茂みにだけは絶対に投げ込まないでくれ」と懇願されると、いじわるな笑みを浮かべて茂みへと投げ込む。』

その途端、ゲストが乗っているボートは急落下。

『しかしブレア・ラビットが投げ込まれた、いばらの茂みの中は自分が住んでいる国。2匹をうまく騙し、無事家に帰ることができたブレア・ラビットは、自分の住んでいるいばらの茂みこそが「笑いの国」だと知る。』 めでたしめでだし、というアトラクションです。

この二つを比べたとき、ストーリーとともに、乗った時の印象を覚えているのは、もしかしたらカリブの海賊の方が多いのではないでしょうか。

スプラッシュマウンテンのストーリーを聞くと「そういう話なんだ。落ちる前の印象があまり無いかも」という人は結構いるのではないでしょうか。

これは私の勝手な解釈ですが、カリブの海賊の「落とし」はゲストを一気に海賊の世界に意識転換させ、海賊の世界に入りこませる効果があるように思えます。なので、「落とし」が冒頭にくるのではないでしょうか。

もちろんスプラッシュマウンテンにも先に述べた以外に何度か「落とし」はありますが、最後の「大落とし」を含め、落とし所に胸を高まらせる間のストーリーと、「落とし」に分かれている…のかもしれません。

どっちが良いと言う話ではない、落とし所のない話でした。

フィス長 マツヲ

渭城の朝雨 軽塵を浥す

帰宅中の電車内で大学生たちが、「卒業式のあとに、みんなで飲みに行きたいね」という会話をしていました。来月には卒業を控え、この時期になるとある漢詩が思い出されます。

 

渭城の朝雨 軽塵を浥す

客舎青青 柳色新たなり

君に勧む更に尽くせ 一杯の酒

西のかた陽関を出ずれば 故人無からん

 

前半の青々とさわやかな情景と、後半の「もう一杯飲み干したまえ。西の方(かた)陽関を出てしまったら、もう君に酒を勧めてくれる友人もいないであろう」という、もう会えない ことを悟っている作者の寂しい心の内が、何ともしみじみと、この時期には特に響きます。

↑熱田神宮より

フィス長 マツヲ

局所排気装置等定期自主検査者講習会に参加してきました。

こんにちは。動物衛生事業部のTです。

2020/02/13~2/14にかけて神奈川労務安全衛生協会で行われた「局所排気装置等定期自主検査者講習会」に参加してきました。

局所排気装置等定期自主検査とは、労働安全衛生法で定められている局所排気装置や除塵装置に関わる法令点検者の講習会になります。

この講習会の参加資格は、作業環境測定士や有機溶剤作業主任者、特定化学物質作業主任者などの資格を有するものが参加できる講習会になります。

様々な検査器具の取扱いや局所排気装置の検査について実際に実習機を用いて勉強することができ、座学では、関連法令や機器について学ぶことが出来ました。

2日間ではありましたが、弊社でもドラフトチャンバーを多数用いて試験、検査を行っておりますので、労働安全に配慮した運用をできればと思います。

写真は、講習会で紹介された器具をまとめた写真と実際に交付された修了証になります。

プロレスから見える感覚の壁当てキャッチボール

プロレスもまた、テレビで見るのと実際に見るのとでは違いました。

↑後楽園ホールより

選手たちの鍛えられた肉体のぶつかり合いは、ブァッコーン!!という重厚な音とともに観客席まで伝わります。

激しい技になると、選手が床にたたきつけられるたびに、その振動がマットをから放射状に広がり、コンクリートの床を波打たせ、巡り巡って私の脚を昇って身体中の神経に伝導していきます。

選手が受けた衝撃が、私の感覚器に直接的に接続される瞬間です。

こういった瞬間には、以前よりも新鮮さを感じます。

スマートフォン、テレビ会議、VR体験、、、コミュニケーションは、人と人をデジタルを介して間接的に接続させることが当たり前になってきました。。

(同じ空間にいたとしても、モニターを見てばかりで目を合わせる機会(視覚)が減ったという意味では、会議やゲーム遊びも同様かもしれません)

片方がボールを壁に投げ当て、跳ね返ってきたボールをキャッチするようなイメージです。壁が無機質だからでしょうか。跳ね返ってきたボールは、投げる前よりも「人肌」が損なわれたような気がします。

デジタルを介したコミュニケーションを、感覚の壁当てキャッチボールと呼ぶのもありではないでしょうか。

私たちの間にデジタルが増えるということは、人と人との直接的な五感の交換機会も減るということであり、それは、最も大事なコミュニケーション方法、人肌を感じる機会というものが減ることでもあるのかもしれません。

感覚の直接キャッチボールというのももっと必要かもしれません。

そんなことを感じたプロレス観戦でした。

フィス長 マツヲ

健康つくり in Kyoto(洛西松尾界隈)

一昨年、体を壊してから復帰後は毎朝、ウォーキングまたはランニングを行なってます。昨年も1月は100mも走れなかったですが、今では数キロは走り切れます。京都に帰った時もウォーキングは欠かさないようにしてます。今月8~11日も京都に帰っていたので、歩いてきました。

良く歩くコースは家から文徳天皇の御陵ともいわれている「天皇の杜」から西山の麓を松尾に向かいます。途中には浄住寺、地蔵院、西芳寺、鈴虫寺、月読神社があり、松尾大社に出ます。この辺りは京都でもまだ観光客が少なく、静けさが残っているところです。松尾までは3km、松尾から渡月橋まで2kmの距離です。

嵐山までのウォーキングコース
浄住寺お堂

 

地蔵院参道

 

鈴虫寺

松尾からは桂川の運動公園があり、川べりから嵐山の渡月橋にたどり着きます。ここしばらくは新型肺炎で日本の観光地は人が減ったとニュースで言ってましたが、嵐山も例外でなく、人はかなり少なかったです。

渡月橋

OKU

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の願いを聞いてもらう前に、面談アポを取ることは大事か

日本人は古来より、身の回りの様々な物に神様を見出してきました。野菜に、土に、木に、火に・・・八百万の神様です。

日本の神様は様々なところにおり、いつひょっこり出てくるか分かりません。
川で遊んでいたら、山に入ったら、思いもよらず神様と出くわしてしまう。小さい頃、まんが日本昔話を見ていたら、そんな話しが多くありました。

いつ会えるか分からない神様にアポを取るには、どうしたら良いか。
そこで日本人は柱を建て、柱同士をつなぐことで「空っぽ」を作ることにしました。神社です。

↑熱田神宮にて

そこに、もしかしたら入ってくれるかもしれない神様とアポを取るために「空っぽ」という面談スペースを作ったわけです。
(中に何も無い ということではなく、 中が何か満たされる 空間として「空っぽ」を定義するとは、昔の日本人の考え方は凄い)

ということは、神社にお祈りに行くにあたり、まずしなければならないことがあるかもしれません。

それは 面談アポを取る ということです。神様にお願いを聞いてもらうのですから、ビジネスマンであれば、まずは面談アポを取ることが順番というものです。
「どうか、神様、もしここにいらっしゃるのであれば、次回 ○月○日○時に伺わせていただきますので どうかご面談いただけないでしょうか~」という具合です。

そしてその上で 次回の面談時にはお祈りの本題を伝える というわけです。

まだ願い事が叶っていない人は試してみてはいかがでしょう。

フィス長 マツヲ

川を食べる

こんな話を耳にしました

爺「山にカブトムシを取りに行くぞ」

孫「え?どうして山に行くの?」

爺「カブトムシがいるからに決まってろぉ」

孫「え?違うよ、カブトムシはスーパーにいるんだよ」

 

こんな話も

先生「水はどこから来ていると思う?」

小学生「だいどころー!!」

 

こういう話を聞くと、人の足が地から離れつつあるように思えてなりません。

私は、山で水を飲むと、水の味から、山を飲んでることを感じられる気がします。

例えば、日光鬼怒川などに行くと、川のほとりでアユの塩焼き屋があったりします。アユを頭から丸ごと食べるとき、私はこんなことを感じます。

おいしい!

ンっ、ちょっとここの部分は苦味がある…

ここは骨があるな…

あ、この部分はまたちょっと違う味がする

 

この単調・単純でない感じ、この複雑な感じ、これが川の味、自然の味なんだなぁと。

 

消費社会にあって、我々の身のまわりのものは、効率化のために複雑なものが単純なものに置き換わりはじめています。

しかし、自然そのものが複雑性を失ったわけではありません。

そのことを忘れ、自然から離れた消費をしていると、自分もいつの間にか地に足がつかなくなってきているのかもしれません。

↑フィス長 マツヲ近所

中東の国にはこんなことわざがあります。

「我々はお金が無くても生きていけるが、ヒンドゥークシュ山脈の雪が無くては生きていけない」

山の雪が無くなってしまえば、大切な水が供給されないことを例えたことわざです。地に足をつけ、自然と共存している国の考え方がうかがえます。

↑ヒンドゥークシュ山脈(wikiより)

もし我々日本人が、このことわざを使うとしたら

「我々はヒンドゥークシュ山脈の雪が無くても生きてはいけるが、お金が無くては生きていけない」かもしれません。

フィス長 マツヲ