“ある日、自分は夢の中で蝶になっていた。目を覚ました後も、自分が蝶なのか自分なのかわからなくなった。”
荘子の「胡蝶の夢」より
これを読んだ人は、こう思うかもしれません。
「荘子は荘子だから、蝶になるはずがない。荘子は荘子でしょ」
それに対して荘子は、次のように言っています。
「そのように、物事にいちいち白黒をつけようとしているから自由になれないのではないか。私がその時は、蝶だったのなら蝶だった。荘子だったのなら荘子だったのだ。」

近代的自由製造装置”エアコン”の不自由さについての検討
夏になれば
暑い 30℃を越えてる
部屋を冷やそう ピッ えっと…設定温度は…〇℃にしよう
涼しい!
冬になれば
寒い 10℃を下回ってる
部屋を暖めよう ピッ えっと…設定温度は…〇℃にしよう
暖かい!
エアコンって便利だよな、涼しくも、暖かくも、自由にできる…
あれ…ん?!…設定した温度に差があまりない
暑いから冷やそうとした 寒いから暖めようとした…つもりだった
ちがう!! おれの身体は…
暑さから解放されたいわけでも 寒さから逃れたいわけでも
はたまた 涼しくしたいわけでも 暖めてもらいたいわけでも なかったのか?
自由 を求めたつもりが 秩序 に従っていた
じゃ 自由ってなんだ
暑い~ 30℃を越えてる~
暑いよな~いい感じだよな~
寒い~ 10℃を下回ってる~
部屋を暖めよう ピッ えっと…設定温度は…30℃にして
汗かくから半袖になろっと
これが自由か?…はたまた混沌か?
自由 を求めたつもりが 秩序 に従い
自由なのか混沌かを考えて 混迷 を深めてしまった
あぁ、これが近代の不自由さなのかなぁ
フィス長 マツヲ