千と千尋の神隠しで言葉を計量する

ネットでの誹謗中傷が話題になっていますが、これには言葉の重さの変化が関係しているのかもしれません。それに気づかせてくれるのが 千と千尋の神隠し です。

少し頼りない主人公 千尋は、異世界に迷い込み、そこで自分の名前「千尋」を奪われてしまいます。様々な苦難をのり越え、少し成長した千尋は、最後には自分の名前「千尋」を取り戻します。

日本には「武士に二言はない」という言葉がありますが、これには「自分が変わることがわかっているからこそ、変わらないものに約束事をかける、それが 言葉 である」と昔の人は考えていたように思えます。それだけ言葉に力があったのだと。太宰治の 走れメロス にも同じニュアンスを感じます。

現代はというと、「約束をしたとしても事情が変われば約束も変わるのが当たり前」。このことを前述と対比させてみると、「自分自身は何も変わらないのだから」という前提条件がうかび上がってきます。これは千と千尋とも逆です。

言葉の削除と書き換えが容易になった現代。言葉から重さが少しずつ失われ、だれでも気軽に投げやすくなりすぎているのかもしれません。

その重みを取り戻すには、ときに自分と言葉(=現代は情報)に距離をおき、今の自分の変化に目を向ける必要があるのかもしれません。

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フィス長 マツヲ

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