局所排気装置等定期自主検査者講習会に参加してきました。

こんにちは。動物衛生事業部のTです。

2020/02/13~2/14にかけて神奈川労務安全衛生協会で行われた「局所排気装置等定期自主検査者講習会」に参加してきました。

局所排気装置等定期自主検査とは、労働安全衛生法で定められている局所排気装置や除塵装置に関わる法令点検者の講習会になります。

この講習会の参加資格は、作業環境測定士や有機溶剤作業主任者、特定化学物質作業主任者などの資格を有するものが参加できる講習会になります。

様々な検査器具の取扱いや局所排気装置の検査について実際に実習機を用いて勉強することができ、座学では、関連法令や機器について学ぶことが出来ました。

2日間ではありましたが、弊社でもドラフトチャンバーを多数用いて試験、検査を行っておりますので、労働安全に配慮した運用をできればと思います。

写真は、講習会で紹介された器具をまとめた写真と実際に交付された修了証になります。

プロレスから見える感覚の壁当てキャッチボール

プロレスもまた、テレビで見るのと実際に見るのとでは違いました。

↑後楽園ホールより

選手たちの鍛えられた肉体のぶつかり合いは、ブァッコーン!!という重厚な音とともに観客席まで伝わります。

激しい技になると、選手が床にたたきつけられるたびに、その振動がマットをから放射状に広がり、コンクリートの床を波打たせ、巡り巡って私の脚を昇って身体中の神経に伝導していきます。

選手が受けた衝撃が、私の感覚器に直接的に接続される瞬間です。

こういった瞬間には、以前よりも新鮮さを感じます。

スマートフォン、テレビ会議、VR体験、、、コミュニケーションは、人と人をデジタルを介して間接的に接続させることが当たり前になってきました。。

(同じ空間にいたとしても、モニターを見てばかりで目を合わせる機会(視覚)が減ったという意味では、会議やゲーム遊びも同様かもしれません)

片方がボールを壁に投げ当て、跳ね返ってきたボールをキャッチするようなイメージです。壁が無機質だからでしょうか。跳ね返ってきたボールは、投げる前よりも「人肌」が損なわれたような気がします。

デジタルを介したコミュニケーションを、感覚の壁当てキャッチボールと呼ぶのもありではないでしょうか。

私たちの間にデジタルが増えるということは、人と人との直接的な五感の交換機会も減るということであり、それは、最も大事なコミュニケーション方法、人肌を感じる機会というものが減ることでもあるのかもしれません。

感覚の直接キャッチボールというのももっと必要かもしれません。

そんなことを感じたプロレス観戦でした。

フィス長 マツヲ

健康つくり in Kyoto(洛西松尾界隈)

一昨年、体を壊してから復帰後は毎朝、ウォーキングまたはランニングを行なってます。昨年も1月は100mも走れなかったですが、今では数キロは走り切れます。京都に帰った時もウォーキングは欠かさないようにしてます。今月8~11日も京都に帰っていたので、歩いてきました。

良く歩くコースは家から文徳天皇の御陵ともいわれている「天皇の杜」から西山の麓を松尾に向かいます。途中には浄住寺、地蔵院、西芳寺、鈴虫寺、月読神社があり、松尾大社に出ます。この辺りは京都でもまだ観光客が少なく、静けさが残っているところです。松尾までは3km、松尾から渡月橋まで2kmの距離です。

嵐山までのウォーキングコース
浄住寺お堂

 

地蔵院参道

 

鈴虫寺

松尾からは桂川の運動公園があり、川べりから嵐山の渡月橋にたどり着きます。ここしばらくは新型肺炎で日本の観光地は人が減ったとニュースで言ってましたが、嵐山も例外でなく、人はかなり少なかったです。

渡月橋

OKU

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の願いを聞いてもらう前に、面談アポを取ることは大事か

日本人は古来より、身の回りの様々な物に神様を見出してきました。野菜に、土に、木に、火に・・・八百万の神様です。

日本の神様は様々なところにおり、いつひょっこり出てくるか分かりません。
川で遊んでいたら、山に入ったら、思いもよらず神様と出くわしてしまう。小さい頃、まんが日本昔話を見ていたら、そんな話しが多くありました。

いつ会えるか分からない神様にアポを取るには、どうしたら良いか。
そこで日本人は柱を建て、柱同士をつなぐことで「空っぽ」を作ることにしました。神社です。

↑熱田神宮にて

そこに、もしかしたら入ってくれるかもしれない神様とアポを取るために「空っぽ」という面談スペースを作ったわけです。
(中に何も無い ということではなく、 中が何か満たされる 空間として「空っぽ」を定義するとは、昔の日本人の考え方は凄い)

ということは、神社にお祈りに行くにあたり、まずしなければならないことがあるかもしれません。

それは 面談アポを取る ということです。神様にお願いを聞いてもらうのですから、ビジネスマンであれば、まずは面談アポを取ることが順番というものです。
「どうか、神様、もしここにいらっしゃるのであれば、次回 ○月○日○時に伺わせていただきますので どうかご面談いただけないでしょうか~」という具合です。

そしてその上で 次回の面談時にはお祈りの本題を伝える というわけです。

まだ願い事が叶っていない人は試してみてはいかがでしょう。

フィス長 マツヲ

川を食べる

こんな話を耳にしました

爺「山にカブトムシを取りに行くぞ」

孫「え?どうして山に行くの?」

爺「カブトムシがいるからに決まってろぉ」

孫「え?違うよ、カブトムシはスーパーにいるんだよ」

 

こんな話も

先生「水はどこから来ていると思う?」

小学生「だいどころー!!」

 

こういう話を聞くと、人の足が地から離れつつあるように思えてなりません。

私は、山で水を飲むと、水の味から、山を飲んでることを感じられる気がします。

例えば、日光鬼怒川などに行くと、川のほとりでアユの塩焼き屋があったりします。アユを頭から丸ごと食べるとき、私はこんなことを感じます。

おいしい!

ンっ、ちょっとここの部分は苦味がある…

ここは骨があるな…

あ、この部分はまたちょっと違う味がする

 

この単調・単純でない感じ、この複雑な感じ、これが川の味、自然の味なんだなぁと。

 

消費社会にあって、我々の身のまわりのものは、効率化のために複雑なものが単純なものに置き換わりはじめています。

しかし、自然そのものが複雑性を失ったわけではありません。

そのことを忘れ、自然から離れた消費をしていると、自分もいつの間にか地に足がつかなくなってきているのかもしれません。

↑フィス長 マツヲ近所

中東の国にはこんなことわざがあります。

「我々はお金が無くても生きていけるが、ヒンドゥークシュ山脈の雪が無くては生きていけない」

山の雪が無くなってしまえば、大切な水が供給されないことを例えたことわざです。地に足をつけ、自然と共存している国の考え方がうかがえます。

↑ヒンドゥークシュ山脈(wikiより)

もし我々日本人が、このことわざを使うとしたら

「我々はヒンドゥークシュ山脈の雪が無くても生きてはいけるが、お金が無くては生きていけない」かもしれません。

フィス長 マツヲ

分析センター流健康づくり

今回は分析センターの健康づくりについてご紹介します。

分析センターのメイン業務は、その名の通り「分析」。

実験室に籠城して緻密な作業でサンプルを処理し、精密機器の力を借りてさらに小さな世界を探求します。

そう、ダイナミックな動きがないので、カラダが凝り固まります。。。

分析センターのメンバーでブームになっているのが、「昼休み卓球」。火曜金曜の昼休みは、皆で体育館に駆け込みます。卓球は大きな動きができるので仕事で凝り固まったカラダを温め、ほぐすことができます。また、上司部下遠慮なく気持ちいいスマッシュを打ち込むことができ、笑いも絶えないので気分がスッキリします。(※高級ラケットを特注し、ラケハラしてくる奴に注意。)

毎日続く仕事をオンオフ切り替えながら進めていくのは、なかなか難しい事ですが、気分転換や息抜きを入れながら、健康に営んでいきたいですね。

以上、分析センターの健康づくりでした。

分析センター硬式テニス部(仮)近日発足予定。

(分析フジ)

落ち込んだときの対処法

「今やっている事は全てうまくいっている。落ち込むなんて考えられない」という方はほんの一握りで、大半の皆さんは多かれ少なかれ、うまくいかずに悩み、落ち込んでいる事と思われます。そんな皆さんに、「落ち込んだ時の対処法」をお教えします。
以前読んだ本に「失恋したときの対処法」というのがあり、それは「とにかく我慢しないでひたすら落ち込む」とういうものです。生活のほぼ全てを落ち込むことに費やし、落ち込んで落ち込んで、限界まで落ち込むと、ある日突然「自分は今まで何をやっていたんだ!こんな事をしている場合ではない!!」と思えるようになり、今自分がやるべき事に専念できる。というものです。これを日常生活などに応用し、うまくいかないときは我慢しないでひたすら落ち込み、限界まで落ち込むと、ある日自然に立ち直る事ができます。これは私が実践しており、最初はうまくいきませんでしたが、次第に慣れてきて、今では当たり前のように使っているものです。皆さんもぜひ参考にしてみてしてみて下さい。

m-ケ

一隅を照らす

中村哲さんのお別れ会に参加してきました。

医者でありながら、その活動は医療にとどまらず、水源確保のための井戸掘りや用水路の整備、靴のワークショップから学校、モスクの建築まで、様々な形でアフガニスタンの人々の復興のために尽力されていました。

↑1月25日の西日本新聞一面

伝教大師・最澄の「一隅を照らす」という言葉は、「自分が今いる場所で最善を尽くすことが、隣人や、世界を良くすることに通じる」という意味で、中村哲さんは生前、この言葉をよく使われていました。

一人一人の働き方、幸せの在り方が問われる昨今、私にとっての「一隅を照らす」とは? 今一度考えないといけない言葉なのではないでしょうか。

フィス長 マツヲ

相鉄線JR乗り入れ

特に利用する路線ではないのですが、一駅までの区間が20分弱、しかもほとんどがトンネルということに興味があり、先日乗車してみました。

横浜駅から相鉄線で西谷駅まで行き、よいタイミングでJR直通線新宿方面に乗り換えができました。・・・もちろん、横浜に所要があったついでです。・・・

羽沢横浜国大駅から武蔵小杉駅まで、17、8分、特急や快速でもなく通過駅もないのにこの長い時間は、都市近郊ではないかと思います。鶴見駅手前辺りからトンネルを出るのですが、そこからが長く感じました。

同じく貨物線を利用した武蔵野線の新小平駅から新秋津駅間は、ずっとトンネンルで長いと感じていたのですが、それでも5~7分。いずれは途中に駅ができるのではとも考えてしまいます。

郊外から都心への通勤客数の分散や羽田空港へのアクセスなどまだまだ路線開発が計画されているようです。これから人口が減少していくとはいえ、都心の混雑はまだまだ続くのでしょうね。

石井

??………

…なんだかズボンが 落ちてくる

ベルトをいつもは動かさない方向に

一つ ずらす

 

万歩計に 目をやる

この1週間の歩数が 表示されている

 

15万歩…

 

鼓動が血管を走るのが 聞こえる

 

ふと ある偉人の言葉を思い出す

「踏み出せばその一足が道となり

その一足が道となる

迷わず行けよ

行けばわかるさ」 アントニオ猪木

 

15万歩はベルト一個分であることが

わかる

フィス長マツヲ