ディズニーランドと凱旋門の解像度について考える

例えば、あなたがパリの市内を観光しているとします。シャンゼリゼ通りを歩き、凱旋門を見上げたとしましょう。あなたはその本物の迫力に圧倒され、優艶さに胸をときめかすことでしょう。しかしその刹那も、抱えている鞄を誰かに掏られるのではないかという不安を心のどこかで感じています。その状態で、人間の目の中に入る凱旋門感に対する解像度は、おそらく90%、人によっては70%かもしれません。

もう一方で、あなたはディズニーランドに遊びに来ているとします。メインストリートを抜け、イッツアスモールワールドを見上げたとしましょう。あなたはそのファンタジーの価値観で作られた外観に、夢と魔法を感じることでしょう。しかしその時に、鞄を誰かに掏られる、などと不安を感じているでしょうか。おそらくほとんどの人は感じていないのではないでしょうか。その状態で、人間の目の中に入るイッツアスモールワールド感に対する解像度は、おそらく100%に近く、人によっては120%かもしれません。

この差は、後者に「ここは安全だ」という安心感を感じているからなのではないでしょうか。安全が作る安心とは、そういうことなのかもしれません。そう考えると、表面上には見えない「安全」とは、なんと尊いものなのでしょうか。

フィス長 マツヲ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です