食品問題と報道について

2006年米国産牛が輸入解禁になったかと思えば、すぐに輸入禁止となった。「米農務省の監察官事務所によるBSE(牛海綿状脳症)対策監査で、米国内の食肉処理施設がBSE感染の兆候とされる歩行困難牛(へたり牛)20頭を原因不明のまま食肉処理していたことが分かった。歩行困難牛は食肉処理が禁じられており、米国のずさんな体制が新たに発覚したことで、日本の消費者の不安がさらに高まるのは必至。特定危険部位の混入で再停止された米国産牛肉の輸入の再開時期に影響しそうだ。」と報道された。

ずさんな体制化にありながらも輸出体制をとった米国とそれを見抜けずにして輸入しようとした日本が検査発覚を境に輸入を停止という事件。報道を見た人は実際に狂牛病で牛が倒れるシーンが画面に無くとも脳裏に浮かぶ筈である。私も報道を目にする度に思い起こされ不安になる。同時にいつも不安な状況にさせる報道がいくらかでも安心させるような報道には出来ないものかという思いになる。

この思いは単に事件の解決だけを祈る思いでなく、報道の方法に改善の余地はないかという思いである。「食」に関わる報道は、対岸の火事的事件とならずに各々の生活に降りかかっている事が多い。だから、他の事件報道とは異なり、事件の成り立ちや状況・結果だけにとどまらずに、その報道を目にした時にどのような心境になり、どのような影響が出るかを配慮する事が重要と思われる。

通常の事件ではほとんどが必要の無い配慮かもしれないが、生活に密接度が濃くなり専門知識を必要とされる事件ほど見る人、聞く人の知識や先入観で事件の受け捉え方が変わり、事件とは関係のない犠牲者を生む(風評被害)事があるように思える。

数年前のBSE問題では経営を止めた「生産農家」や倒産した「焼肉店」もあったし、BSEに限らずほうれん草事件や鳥インフルエンザの報道に関しても同様に思えた。今後もこのような問題はますます増大し、世の中を不安に陥れると思うが、国を相手にした消費者にとっての正義のヒーロー的報道だけでなく、その流通の過程(農場から食卓まで)をきちんと踏まえたなかで報道の在り方をきちんと見直して欲しい。

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